REM - ! - pre




「明けの夢」



 ――夜のキャンプにて。


 闇の中で夜空を見上げていた。
 両の眼から涙が零れ落ちていたのはどれほど前だっただろう。
 とうに涙は止まり、まばたきをすれば 少し乾いた目元が引きつるのを感じながら、
 ただ夜空を見上げるのみ。

 夜が深まるにつれ、周りの空気は冷えて体温を奪っていく。
 それでも動く気になれない。


 眠れない日がある。
 どうしても眠れず、そんなときは仲間と一緒にいることがつらく、一人になりたくなる。
 誰かに縋りたい。
 誰にも縋りたくない。
 自分と仲間とが、互いに視界に入らない場所に身を置くしかない。
 そんな思いで 皆が寝静まった後に、逃げるように抜け出していた。


 さみしい。

 さみしさと悲しみが痛みとなって心と体を襲う。
 痛みは何度でも繰り返す。

 その度に ひとりになって
 誰の目も無いのに、顔を隠して声を殺して、涙を流すだけ流して
 やっと苦痛から開放されて、疲労感と虚しさに覆われる。
 それでも さみしさは最後まで残り、消えない。

 この気持ちが胸の中から消えてなくなる日なんて来るのだろうか。

 きっと、死ぬまで消えないだろう。

 いくら見上げても、夜空も星も何もこたえない。
 それでいい。
 自分の力でどうにかするしかないんだ。
 自分の力で。

 助けてくれる人はもういない。
 守ることが出来なかったのだから。






…………………………………………






 さまざまな思いが胸を過ぎるうち、やがて思考は停滞して行った。

 まどろみが訪れはじめたことが解り、ようやく眠れるのかと 心が緩んだ。
 テントに戻らなくていい、ここでこのまま眠ってしまいたい。
 それほど危険なダンジョンじゃない、大丈夫だろう。
 そう思いかけた。

 だが かすかな人の足音を知覚して、若干の緊張感を伴って意識が覚醒した。

 それが仲間の足音だと解って すぐに緊張と警戒は解いた。
 ひとたび覚醒した意識は、せっかく訪れてきた眠りから離れてしまった。

 土を踏む音。
 時々 枯れて落ちた枝や葉を踏み割りながら。

 邪魔が入った気分だ。
 自分を目指して、ここへ向かってきていることは解ってる。
 今は相手をする気分じゃない。
 でも、やっぱり動く気になれなかった。
 どうせ今から移動したって 気付かれるだろうしと、
 その先の気まずさを思い浮かべると体は動かなかった。

 後方から近づいてきた足音は、すぐ後ろまで来てやっと とまった。
 50cmも離れていない。
 俺のことを余裕で蹴飛ばせるような距離だ。

「誰が勝手に来ていいって言った?」

「雪、ずっとここにいたのか
 そのままじゃ冷えるぞ」

 1号の声は真上から降ってくるように聞こえる。
 俺は何も応えず、振り向きもしない。
 暗に拒絶を示したが、お構いなしに1号は後ろに座り
 そのまま両腕で俺の体を抱えるように身を寄せてきた。

「なんだよ」

「少しの間、こうしていさせてくれ」

 勝手だな、と思う。
 でも 人肌はあたたかい。
 自分が飽きるまでならいいかと、沈黙で答えることにした。




 沈黙のまま時は流れ。
 1号はときおり身動ぎしながらも、
 それ以上何をするでもなく ずっと俺にくっつき続けた。

 背中がさっきよりもだいぶ温かくなっている。
 1号の熱がうつるだけではなく、自らの発する熱も そこで行き止まりとなって とどまる。
 外気は冷たい。
 離れたらさぞ冷たく感じるのだろう。
 そう思うと自分の胸や下肢が相対的に冷たいということを思い出し、
 そして1号も背が冷たく感じているのではないだろうかと、ふと思った。

 少しだけ1号の腕の力が強まったのを感じた。

「なんでここに来た?」

「雪に触れたかった」

「そうか、かなってよかったな」

ひと呼吸おいて続ける。

「もう満足しただろう?」

 皮肉めいた言葉で返せば、1号の強張る気配から 感情の動くことが察せられた。
 自分ひとりトゲのある物言いが恥ずかしく 居心地悪いような気持ちになる。
 相手が真剣で真面目な態度だとわかるからだ。
 もう少し歩み寄ろうか どうしようかと迷ったが、言葉が口から出ていた。

「……………………………
 聞いてやる
 本当のことを言ってみろ」

「今日はずっと、雪に触れたい気持ちが暴れてた
 近くにいるのに、ぜんぜん気持ちが治まらなかった」

「………そういうこともあるさ」

 そばにいるということと、触れているということは大きく異なる。
 どちらも大きな意味があり、そしてどちらがより価値があるかはわからない。
 それぐらい違うものなのだから。
 兄と過ごした日々の記憶をなぞり、
 自らの懊悩と おそらくは今の1号の気持ちとを重ね合わせた。

「みんなの前では
 絶対にそんなことはするなって
 雪は言う」

「当然だ」

「さっき、テントから雪が出て行ったのは知ってた」

「起きてたのか」

「眠れなかった
 雪の姿が見えなくなったら
 気持ちが暴れるのがどんどんひどくなって
 苦しいのがとまらなかった」

 いやというほど、身に憶えのあるようなことばかり言う。
 自分が兄に抱いていたものと、1号が自分に向けるものと、
 その強さはどれほど違うかは解らない。
 ただそれがいかにつらいことか、どうすればそのつらさから逃れられるのか、
 そして自分ならどうするかを知っている。

「そういうの、いつもってわけじゃないだろう?」

「時々だ」

「おまえ、発情してんじゃないか?」

「そうなのか?」

「知らねぇよ」

 ぶっきらぼうに一言吐いて 振り返る。
 この晩の侵入者に対して初めて顔と体を向けた。
 1号の顔が すぐ間近にあった。

「じゃあ、もうテントに戻って寝るか?」

 否と答えるんだろうなと思いながら、わざと聞いた。

 1号は言葉で答えずに口づけてきた。
 何か考えをめぐらす暇もないほど、あっという間だった。
 両手で頭や肩を抱え込まれ、キスはすぐに深いものになった。
 自分も口を開き、舌を差し出す。
 滑る感触をひとたび味わうと、強く引きずり込まれて離れられなくなる。
 次第に湧き上がる欲とも感情ともつかないもののままに動けば
 相手もまるで同じように返す。
 唇が離れかけては 我先にと奪い合うように重ねられる。
 まるで終わりを拒むかのように。

 そんな昂ぶりがどれだけ続いただろう。

 いつ気が済むのかわからなかったような口づけは
 暫し後にようやく終わり、或いはひとつの区切りを迎えた。

「雪ともっと繋がってめちゃくちゃになりたい」

 ひどい言葉だと思う。
 脳と体の何かを叩き付けられる。

「本当に恥ずかしいことをいうやつだな」

 それに対してこれからとる自分の行動が人のことを言えるのかと考えかけたが、
 都合の悪い思考は遮って 自分で服を脱ぎ捨てていく。
 もう、体温は十分に上がっている。
 この後もっと上がることになるだろうから、夜気の中でも平気だ。

「そうやって触れてれば
 おまえの気持ちってのが俺にもうつるかもしれないぜ」

 正面から強く抱きしめられ、
 1号の力と熱と一緒に その感情までが流れ込んでくる気がした。