『子守唄代わりに』



 長いダンジョンを抜けて満身創痍のパーティー一同は、その日、各自一人部屋で休息を取った。
 人の姿を取り戻してからずいぶん時間が流れたが、雪はずっと変わらずに、夜なかなか眠れずにいた。
 この晩も眠れず、狭い部屋のベッドで寝返りを打っていたが、そうして時が経つことに耐え切れず、夜風に当たろうと部屋を出た。

 ロビーを出た小さな中庭に足を運ぶと、先客がいた。
 背の高い人影が、一人夜空の星々を見上げて佇んでいた。
 小さな声でしゃべっても聞こえるだろう距離まで歩み寄り、声を掛ける。

「ベガ、眠れないのか……」

 影が振り返り、優しい声が返る。

「今日はいつもと逆だな」

「まぁな」

「おまえも眠れないのか……今日も……」

「ああ、人のこと言えねえな」

 その場を離れるか、黙ってそばにいるか、或いは……と考えて、お節介と承知の上で忠告を選んだ。

「……あんたの好きにさせてやりたいところだが……
 見つけちまったからには放っておけねえ。
 今日はだいぶ体がやられてまいってるはずだ、
 大人しく部屋に戻って休め」

「手厳しいな……ならばおまえも、休まなければいけないだろう」

 ベガは苦笑して応える。

「俺は休息も栄養もとって、ちゃんと回復してるからいいんだ。
 あんたは口に出して言わないけど、無理してんのはわかってんだ。
 いつも体を張って、人をかばおうとしてばかりで……ったく、
 いい加減にドラゴンじゃなくなったってことを自覚しろ」

「心配を掛けるな……」

「俺は別に……いや……」

 少し口ごもったが、雪は言葉を続けた。

「とにかく、あんたに倒れられちゃ
 あんただけでなく俺たちだって困るんだ」

「体調の管理は自己責任であり、
 共に旅を続ける仲間のためにも必要ということだな。
 軍人らしい……いや、おまえの責任感が強いからか」

「あ……それだけじゃなくて、
 ベガのことを心配してる気持ちも持ってる……」

 自らの物言いが相手の身を案じる気持ちが足りないように受け取られてしまっただろうか、慌ててそんなことはないんだと訴えたく取り繕ったが、それすらも適切であるかどうか自信が無い。
 口にしている言葉の恥ずかしさも相まって、雪の声はどんどん小さくなり、終わりの方は掠れていってしまった。

「ありがとう」

 ベガの穏やかな笑みと言葉ひとつで、心がほっと安らぐ。
 自らの言葉が足りないことは時にもどかしかったが、思いが伝わっているのだろう、わかってくれているのだろうと感じられた。
 ベガにはそう思わせる懐の深さと広さがあった。
 たとえそれが、雪のベガに対する信頼からくる幻想であったとしても、構わなかった。

「雪がそばにいる、1号や仲間たちもいる。
 寂しさを感じる理由なんて無さそうなものなのに……
 何故だろうな、時折この気持ちが甦る」

「……俺はあんたの過去をそんなに知ってるわけじゃねえから、
 知った風なことは言えねえけど……たぶん……
 それだけ大事だったってことなんじゃねえか、
 忘れることなんか出来ないくらいに」

「そうかも知れないな」

 そう呟いたベガの横顔は尚も寂しげだった。

「その気持ちや記憶はいつまでも持ってたって構わないんだ、
 けどそのせいであんたに苦しんで欲しくねえ」

 ベガを何とかしてやりたい。
 気持ちが募り、雪はつい身を乗り出してしまう。

「今日みたいに一人で寝るからいけないんだ。いろいろ考えちまう。
 俺がついててやるから部屋に戻って横になれ」

 雪の言葉にベガは少しだけ意外そうな顔を見せたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。

「そこまで言われては、言うことを聞かないわけにはいかないな。
 その言葉に甘えるとしよう」

「よし、戻るぞ」

「雪もな……」

 返るベガの言葉は、「雪も一緒に戻ろう」と言われたのだと、その時は思った。
 けれど歩きながら、もしかしたら……という思いが浮かぶ。
 過去の記憶と寂しさについて、雪がベガに望んだように、ベガも雪に苦しまぬようにと願ってくれたのだろうかと。
 しかし一人勝手に考えを走らせ過ぎかと、それ以上考えるのをやめた。
 二人で館内へ戻り、部屋のドアの並ぶ廊下の前で、雪はベガに「取ってくるものがあるから、先に自分の部屋に戻ってろ」と言い残して別れた。

 程なくして雪はベガの泊まる部屋を訪れた。
 ベッドに座って雪を待っていたベガを、強引に横にならせて布団を掛ける。

「雪……無理に私を寝かし付けに来たのか?」

「無理にというか、そうでもないというか、俺なりにやる気で」

 ドカッとベッドサイドの床に雪は腰を下ろす。

「おまえもベッドに座るか横になるといい」

 ベガが身を起こしながら言う。

「狭いから無理だろ、
 大体あんたは大きいから頭と足がつっかえそうじゃねえか」

 雪はベガの肩を押して再び横たわらせる。

「ゆずらないか」

「へへ……」

 はにかんで笑って、雪は自分の部屋から持ってきた厚い本を開く。

「それは?」

 言葉の変わりに本の表紙を見せて雪は答える。

「ヴィヴァルディ竹原氏の……そうか、雪の御祖父さんだったな」

「おじいちゃ……祖父の本だ。
 といっても、鎖振り回して暴れてるようじゃ孫って感じでもねえよな」

「昔は勉学に励んだのだろう?」

「途中まではな……この本もずいぶん読んだ。
 兄さんがこの本を好きで、俺が小さい頃……
 寝る前にいつも読んで聞かせてくれた。
 兄さんが好きだった本を自分でも読みたくて、辞書を引いて……」

 言葉を途切らせて、雪はかぶりを振る。

「まぁ、子守唄代わりってわけじゃねえんだが、
 読んでやるから適当に聞きながら眠れよ」

「どんな話だろうな」

「全部読んだけど、難しくて正直わけがわからねえ。
 でも少しは解るところもあるんだ、その辺りを読む」

 雪は部屋の灯りを本が読める程度まで落として、ベッドに背を預けて、読み始めた。
 静かな声でゆっくりと読み進めていく。
 途中で何度かベガが質問を入れ、軽く問答をしながら。
 やがてベガの声は発せられなくなり、かわりに寝息が聞こえ出した。
 それでも雪は声を小さくして、もうしばらく読み続けた。
 まどろみ、声は消え、目で本の文字列を辿り読み続ける。
 さらに何行かを辿り。
 雪は自らの意識が落ちる気配を感じて、本をそっと閉じ、胸に抱えて瞼を閉じた。





 ◇





 雪は浮遊感と共に自らの体の重みを感じた。
 眠りから覚めることを自覚して、なんとか重い瞼を上げる。

「起こしてしまったか……」

 ベガに抱えられている。
 おおよその状況を察することが出来た。
 ベガが自分をベッドへ寝かそうとしていたところだろう。

「済まなかったな、あのまま本当に眠ってしまい、
 おまえを床で寝かせてしまった」

 雪はベッドへ下ろされたが、すぐに上半身を起こした。

「俺は慣れてるからどうってことねえよ」

「せめて今からでも横になってくれ」

 雪は部屋の中と窓の外を見て、そしてベガへ向き直る。

「もう朝じゃねえか」

「はは……」

 ベガは困ったような顔を見せる。

「よく眠れたみたいだな」

「そうだな、おまえのおかげだ」

 二人で顔を見合わせて笑う。

「おはよう、雪」

「おはよう……」

 あらためて挨拶をすると少し気恥ずかしくなってしまった。
 雪は誤魔化すように両腕を肩の上にあげて伸びをする。

「んーー、俺は外で体をほぐしてくるぜ。
 まだ出発まで時間があるし、早朝は気持ちが良さそうだ」

 ベッドから降りて、机に置かれていた本を抱える。
 ドアの前で靴を履いて振り返る。

「じゃぁな、邪魔したな」

「ありがとう、雪。また後で……」

「ああ、朝食に遅れんなよ」

 ドアを開けて踏み出す雪は、背にベガの優しい視線を感じ、心のあたたかくなる思いがした。










REM - !