地球塔内宿泊施設、雪の部屋にて。

 夕食を終えて解散した後、雪は自分の部屋に戻っていた。
 眠るにはまだ早く、他に外でする用事も済ませている。
 残りの時間を鎖や武器の手入れにあてることにした。
 寛ぎながら武器を磨いていると、不意に『コンコン』とドアを叩く音がした。
 顔を上げてそちらに目を向ける。立ち上がるより早く声が聞こえた。

「雪、いるか?」

 声の主は1号だった。作業の手を止めて移動し、扉を開ける。

「いたんだな、よかった」

 雪の顔を見ると1号は嬉しそうに言った。

「何の用だ?」

「上げてくれ」

「ん……まあいいぜ」

 部屋の中に入ると1号は、手提げ袋から白い箱を取り出した。
 30cm角に高さが15cm程度。
 いかにもという感じのケーキの包みに見えた。

「これを一緒に食べよう」

「ケーキなのか?」

「ああ」

 念のためと聞いてみたが、間違いないようだ。
 甘いものは好きだ。
 夕飯からあまり時間が経っていないが、問題無い。

「ちょっと待ってろ、ここ片すから」

 小さな机から得物と手入れの道具を退かし、軽く水拭きをする。

「皿や食器は?」

「持ってきた、切り分けるためのナイフもある」

 切り分ける……?
 疑問を感じたが箱の大きさを考えればその可能性はありそうだった。

「もう置いていいか?」

「あ、ああ」

 机と椅子が一脚ずつ、座るところが足りない。
 ケーキの箱が置かれた机をベッドの前に移動させ、雪はベッドに腰掛け、1号に椅子を勧め座らせた。
 1号は手提げ袋から取り皿とナイフ、小さなフォークを出して並べ、箱を開けた。
 案の定、ドンと大きなケーキが一つだけ入っていた。

「ワンホール……俺らで全部食うつもりか?」

「良いだけ食べて残してもいいが…いけるんじゃないか?」

「それもそうだな……よし、平らげよう。あとおまえ茶か何か飲み物は?」

「………………」

 返答が無い。

「忘れたな」

 1号は頷く。

「水か……なんか冷蔵庫に入ってるやつでも…」

 立ち上がって備え付けの小さな冷蔵庫を開けると、いくつかのボトルと缶が並んでいた。
 中からよく冷えた紅茶のボトルを2本取り出す。

「これでいいだろ」

「ありがとう、雪」

 ボトルを机に置いて再び座る。

「で…なんだこれ。パイみたいだけど」

「チョコレートパイ」

 単語だけで答えながら1号はパイにナイフを入れる。
 適当に分割して行くが、本当に適当でひとつひとつ大きさが違う。
 それにしても一切れだけじゃなく何切れも食べるならば良いだろうかと大らかな気持ちになった。
 断面からたっぷりとチョコレートのフィリングが覗き、ほんのりと甘い香りが鼻孔をくすぐり、なんとも幸せな気分になってしまった。
 今なら些細な事には幾らでも目を瞑れそうだった。

「食べてくれ」

 パイの一切れのった皿を目の前に出される。

「遠慮無く」

 雪が食べ始めるのを見て、1号もフォークを手にした。

「いけるな……!」

「そうか、よかった」

 強い甘さと苦みが体中を刺激してテンションが上がる。
 後れて広がる洋酒の香りも良い。
 一切れ目はすぐに食べ終わり、二切れ目を自分で皿に取って食べた。
 1号も二つ目を皿に移し、少し見下ろして何か考えた風にした後、手掴みで口に運んでそのまま齧った。
 行儀が良いとは言えないが、大胆な食いっぷりはとてもうまそうに見えた。
 他に人目は無いし今は二人だけだし……そう思って雪も三切れ目は1号と同じように食べた。

 黙々と食べながら疑問が浮かぶ。
 なんだって俺はこいつと二人でケーキを食べてるんだ?
 なんで1号は突然こんなことをしたんだ?と。
 今日は3月14日。
 可能性としてはいくつか。
 一月前にこいつにチョコなんかくれてやった覚えは無い。
 イベントに乗ったというわけではなさそうだ。
 他にあるとしたら……俺の誕生日?
 しかしこんなにそれらしく祝われるというのも気持ち悪いというかこそばゆいというか、兎に角らしくない。
 そもそもそのためとも限らない。
 ただの気紛れなのだろうか。
 気になって胸がもやもやとする。いや、もしかしてパイの食べ過ぎで少し胃がムカムカして来たのか?
 手を付けていなかった紅茶のボトルを開栓して呷った。

「1号!」

「なんだ?」

 はっきりしない事は明らかにすればいいんだ。
 そうすれば手っ取り早くて気分が良い。

「どうしてパイを持ってきて一緒に食べようとしたんだ?
 今日は特別な日なのか? それとも気が向いただけか?」

「それは…今日はパイの日だからだ」

「は? パイの日……ってなんだそりゃ」

 予想外の答えが返ってきた。
 分からなかったから想像の外というのは確かなんだが。

「昔、シキと他の研究員がそういう話をしていた。思い出したんだ」

「兄さんが!?  いや待て、兄さんはそんな
 イベントっぽい話題なんかに興味は無い筈だ……」

 1号の言うことがどれもこれも頭を混乱させる。

「どうした?」

 1号の不思議がる顔を見て突然合点がいった。

「おまえそれ…パイ違いだ!
 多分兄さん達の言ってたのってπだろう!」

「パイなんだろう?」

 1号はパイを指差して尋ねるような視線を向けてくる。

「だーかーら、違うってんだ!
 円周率のπ、3.1415…ってこれくらいも知らねえか?」

 1号もハッと目を見張った。

「なるほど……」

「なんだよそういうオチかよ、ハハ……」

「オレは間違えたようだな。パイを食べる日だと思っていた」

「うまかったから許す。いいぜあったま悪そうでおまえらしくって」

「褒められた気がしないな…」

「まぁ気にすんな、ほんとにうまいから食っちまおうぜ」

 会話はひとまず置いておき、二人でせっせと残りのパイを平らげて行った。

 空箱を前に紅茶を飲んで一息つく。
 流石に大分腹が膨れていた。しかし甘い物は入ってしまうものだ。

「はぁ……ごちそうさま、だな」

「雪、今日はもう一つある」

「え、まさかパイがもう1ホールとかじゃないよな…?!」

 1号はそっと首を横に振る。

「今日が何の日か」

 そう言って1号は手提げから新たに袋を取り出した。
 それは銀色の包みで、1号が封を開くと白い煙が零れ出した。
 ドライアイスのようだ。

「雪の誕生日だろう。おめでとう」

 白い発泡シートで包まれた冷たい何かを手渡された。

「覚えて……たんだな」

 不覚にも、正直なところ嬉しくなってしまった。
 まだ中身も見ていないのに、1号の気持ちが……。
 きっとこんな風に思ってしまうのは、チョコレートパイを食べたばかりで身も心も幸せになってしまっているからだ。
 言い訳がましいと思いながらも、そういうことにしておいた。
 早速と包みを開くと非常に手に馴染んだ形と、ピンク色が目に飛び込んで来た。

「これは………いちごミルク! もう売ってないやつじゃねえか!」

 手の中には好物のゆきみだいふく。
 しかも苺味は普段は手に入らず、時々限定で発売されるのをいつも心待ちにしているものだった。

「1号の癖にセンス良過ぎだろう……」

「気に入ったようだな」

「気に入るも何も! どうしたんだこれ?」

「少し前かな、販売期間の終り頃に買って、冷凍庫で保存して置いた」

「そんなことを……知らなかったぜ」

「レストランの食料庫に大きいのがあるだろう、そこで。
 それより雪、溶けないうちに食べた方が良いと思うぞ。
 それとも今日はもう満腹で入らないか?」

「食べる! 今すぐ食べる!」

 フィルムシートを剥がすと円いピンクのだいふくが二つ。
 目にしただけでも幸せになる。暫し幸福を噛み締める。
 一つを手に取って顔を上げた。

「1号、口を開けろ」

 言われて反射的にだろうか、ぽかんと開いた1号の口の中に片割れをぐっと押し込んだ。
 1号は何かを言おうとしていたが、もごもごとしてまともには聞こえない。

「礼だ」

 後は1号は放っておいて自分もありがたくいただくことにした。
 一口、また一口とゆっくりと味わって食べた。
 甘過ぎず爽やかな酸味とさっぱりとした後味が素晴らしかった。

「昔にもこんなことがあった……」

 気が付けば1号は飲み込み終えていたようだ。

「そうか?」

「いつだったかな……雪がまだ大分小さかった頃に喧嘩になって、
 いやあれは雪が一人で怒っていたのか?
 研究室から飛び出していったと思ったら…」

 心なしか記憶が蘇りつつあるが、あまり思い出したくない気がする。

「これと同じアイスを持って戻ってきて、オレの口に押し込んだ。
 ということがあったよな? あれは普通の白いやつだった」

 しっかりと思い出した。顔がかぁっと熱くなる、やばい。
 どうしてこいつはこういう事に限ってよく覚えているんだろうと憎たらしくなる。
 その時の顛末を今ここで追究したり話を発展させたら薮蛇だ。
 是非とも避けたいんだが……。

「あっ…たかも知れねえな……」

 見れば1号はいっそう嬉しそうな顔をして微笑んでいた。
 本当に憎たらしい。
 けれど今はとても気分が良いから適当に笑っておいてやることにした。
 こんな事は滅多に無いから有り難いと思え。

「でも良かったのか? オレに食わせて。
 好きなんだから雪が二つ食べればよかったのに」

「もうそれはいい、やめろ」

「そうだ、まだ冷凍庫にいくつかあるからそれも食べるか?」

「マジか!」

 あまりの発言に一気に浮かれてしまい、1号の頭をわしゃわしゃとかき回すように撫でた。

「おまえホントに俺の事解ってんなっ!」

「じゃあ今度レストランに行った時に場所を教える」

「忘れんなよ、絶対だからな」

「レストランといえば……」

「まだなんかあるのか?」

「さっきのパイな、あれはオレが作ったんだ」

「ウソだろ! まさかこんなに腕を上げたのか?」

「……秘美が手を貸してくれた。でもオレも少しずつ上達してると思う」

「あー…おまえ同じ事繰り返すの好きだもんな……。
 そーかそーかいーじゃねえか、こんなにうまいんなら…」

 閃きというか思い付きがあって、1号の両肩を掴んで身を乗り出した。

「ケーキ屋になれ! 通うから。
 それよりも…そうだな、俺が味見してアドバイザーになってやる」

 1号は目を丸くして雪を見上げた。

「酒を飲んでるわけでもないのに凄く…元気だな……」

「そういうおまえはいっつも変わらなさ過ぎだ」

「そうか……、雪もいつも通りか。普段から突然こんな風になることも……」

「んん?」

 何だか失礼な事を思われている気がする。
 少し視線をずらした1号は、ふっと力を抜いたように穏やかな顔になって呟いた。

「ケーキ屋か……そういうのも良いかも知れないな……」

「だろ? 適当な夢だけど悪くねえだろ。
 …にしてもなあ、今日は色々畳み掛けてくるよな、
 そろそろ腹いっぱいだけどもうネタは無いよな?」

 どうにも昂揚しっぱなしになっている。甘い物の力は恐ろしい。
 気分は良いが少し落ち着きたいところだ。

「? うん、多分……」

「ならいい……」

「雪もゆきみだいふくを作ってみたらどうだ?
 好きな時に食べられるぞ」

「ああ、やれば出来そうだな。
 低温で固まらない餅と…確か求肥だっけな、後は中身か。
 あの味が出せるか分かんねえけど……」

 その後も結局甘味の話は止まらずに、夜が更けていった。










REM - ! - pre




余談(反転)

・π=3.1415926535…
 πの中には雪の誕生日に加えて1号(15)もいますね
 多分二人とも気付いてません
・1号が切り分けたパイは雪から見たら大きさがまちまちに感じるだけで、雪は兄さんの仕事を見慣れていたからであって、多分1号のカットはそんなに激しく不揃いじゃないと思います
・1号は2/14に雪にチョコを上げたのかな?? どうなんだろう……ということに今気付きました
・思いのままに書いていったらけっこう盛りだくさんになりましたー